カリカリと机上を滑るいくつもの音と教師の間延びした声が、重なりながら教室を流れる。
窓の外は日の光が一面に降り注ぐ晴天で、誰が開けたのか全開の窓からは穏やかな春の陽気とそよぐ風が吹き込み、生徒たちを優しく慰撫する。
春の女神の慈愛に浸った生徒は抗うことなくその身を委ね、クラスの三分の一が夢の世界へと旅立っていた。
土方十四郎はそんな見慣れた光景をぼんやりと眺める。
三年に進級し一ヶ月がたち、どこかよそよそしい空気を残していた教室もすっかり馴染んだものとなった。窓際後ろから二番目、なんて絶好のサボリ位置に陣取った土方は、早速その特典を思う存分使用させてもらっている。
黒板には近代日本を打ち立てた名士たちが凌ぎあっていた。だが時代を作った偉人も、現代の若者にかかれば退屈の象徴でしかない。
普段ならば漏らさず書き取るノートも本日はほとんど埋められておらず、しかし土方はどこか上の空だ。
気まぐれな春風は土方の黒髪をサラサラといたずらに撫でて通り過ぎる。パラパラとめくれる教科書を片手で押さえ、しかし髪は流れるままにおく。
左手は頬杖をつき、その顔はどこか憂いを帯びている。その図は十人中八人は間違いなく見とれる情景であった。
昨日、放課後の準備室で担任に犯された。
それは強姦と呼べるような荒々しさと、恋人たちの睦み合いのような甘さが混じり合ったセックスだった。
いや、セックスなんて言葉では到底覆いきれない熱を孕んでいて。あれは、まさしく、嵐そのものだった。
突然の出来事だった。用があるから放課後準備室ね、なんて言われて来てみれば、担任であり国語科準備室の住人である坂田銀時はまだいなかった。
無人の室内をぐるりと見渡せば、そこかしこに資料やよくわからないガラクタやらが乱雑している。
掃除が行われているのか甚だ疑問の埃っぽい部屋は、準備室というより銀時の私室だ。これまで一度も足を運んだことのなかったものの、噂には聞いていた―曰く、国語科準備室は銀時のせいで他の教師が寄りつかない―実態を目の当たりにし、ハアとため息をつく。
学校を私物化してよく文句をいわれないな、なんて至極もっともな感想を思いながら、土方はこれまた不自然におかれた(しかしこの部屋によく馴染んでいた、きっと前からあったのだろう)ソファに腰をおろした。
特にすることもなく五分ほど待った頃、あれ、もう来てたんだ、と悪びれる様子もなく担任の男が入ってきて。
思えば、その時ガチャリと閉められた鍵の音を、聞き流すべきではなかったのだ。
拒絶は一切許されず、散々に暴れた後はなし崩しだった。最終的にはその背中にしがみつき喘いでいたように思う。
なにがなんだか分からなかった。嫌悪と恐怖と憤怒が代わる代わる土方を支配し、ひたすらに暴れた。
何しやがる、と激高して叫んでも、自分を組み解く男は感情の読めない顔で笑うだけ。その表情にぞっとしつつ、体中を這い回る手や唇が嫌悪ではない悪寒を紡ぎ出しはじめ、戸惑いと激情にゆれる十八才の身体はいともたやすく与えられる快感に酔った。
最中の男の顔はよく、覚えていない。
もはや行為そのものが熱の固まりのようだった。土方はただ、突如起こった暴風雨に飛ばされぬよう必死にすがりつくのみで。
痛みなのか快感なのか分からない、ただあつい、と繰り返し思った。
コトが終わって。茫然としたまま虚脱感覆う全身を、ソファに寝そべらされ、丁寧に拭われた。
もう何の反応も返せずされるがままになっていたが、その手つきの優しさが最中と何ら変わらないものだったと後から気づいた。
なんで。なんでなんで、なんで。
あんな強引に押し倒してきたくせに、慈しむように触れたのは何故。
何を聞いても答えず、言葉一つよこさなかったくせに全身に赤い痕を残したのは何故。
よめない笑みを貼り付けていたくせに、思い出すのはアンタの優しい目なのは何故。
嵐のような激しさで翻弄したくせに、抱く腕の甘さに酔いしれる俺にキスをよこしたのは、
何故。
怒る気力も問い詰める気力もとうになかった土方は、学校施錠時刻になってようやく動けるようになり、銀時に支えられるようにして帰路についた。
最中もその後も、結局二人はほとんど喋らず、それがより土方を混乱させる。
なんで。聞いたところで回答が返ってくるとも思えなかったが、それ以上に心の安定が欲しかった。
謝罪でも開き直りでも、なんでもいいから、せめて。
銀時は去り際に「また明日」とだけ残し、土方は途方に暮れながら銀時と別れた。
夜、明らかに発熱した身体をベッドに横たえる。
この事態を想定していたのか、行為の後清められた時に口移しで飲まされた鎮痛剤が、幾分痛みと熱を和らげている。
すべて仕組まれていた計画に感じたのは怒りなのか呆れなのか。それとも、ほかの。
どろりと意識を引きずり込まれながらも、頭に浮かぶのはこんなことをした張本人。
何も考えたくない。何も分かったことなんて、ない。
ただ。
せんせい、と呼ぶと、うん、とひどく優しい声が響いたのは覚えている。
チャイムが鳴った。
じゃー今日はこれまでという教師の声に被さるように、儀礼的挨拶がやる気のない声で続く。
ガヤガヤと先程までとは打って変わった喧騒にどこか安堵しながら、土方は大してとらなかったノートを閉じる。
静かだと、いらぬことまで考えてしまう、だから。
昼休みを迎えた校内はどこもかしこも活気づいている。それはこのクラスも例に漏れず、授業中は爆睡していた近藤が晴れやかな笑顔を見せながら土方の席へやってきた。
「トシィ、飯くおーぜ!」
手には大きめの弁当箱を持っている。後ろから沖田や山崎もやってきて、にわか土方の周りは賑やかになった。
「今日はいい天気だな!折角だ、外で食べないか!」
どうだ、と近藤がそろったメンツに問いかけた。昼食は大抵この四人で食べている。
確かに今日は申し分ない天気で、近藤の提案を断る土方でもないのだが。でも、今日は。
「…ワリィ近藤さん。そうしたいのは山々なんだが、昼休み中に片付けちまいたいプリントがあってな。弁当食いながらするつもりだったから…。今日は三人で食べてくれよ」
総悟と山崎も悪いな、とさも申し訳ないといった様子で断りをいれる。近藤はそうか、残念だなと肩を落とし、ついで笑顔で了承する。
「あんまり根つめんなよ。明日も晴れだったら四人で食べような」
じゃあ行くか、と二人を促し出口へ向かっていく近藤に次いで、山崎がまた後で、と言い残し後を追う。土方はほっとした表情でそれを見送った。
「なんでィ土方。今日体調悪いんですかィ」
ドキリとして声の方へ視線を転じれば、至極つまらなそうな顔がこちらを見ていた。総悟、と思わず眉をひそめる。一番やっかいなのが残ってた。
「アンタ今日ほとんど席から動いてねえでサァ。熱でもあるんですかィ」
「…んなもんねーよ。たまたまだろ。ほら、早くしねーと置いてかれっぞ」
とっとと行け、と沖田を追いやる。じっと見てくる瞳をにらみ返し、しばし膠着を続けたあと、ふうんとだけこぼし沖田は去っていった。
ヒヤリとする。見破られているとは思わなかった。
しかし嘘は言っていない。朝起きた時にはもう熱はさがっており、ただどことなく倦怠感が身体をおおっているだけだ。それから、昨日よりはマシになったものの、腰にいくばくかの違和感を。
(考えるな)
気を抜けば土方を支配するのは昨日の熱の記憶だった。今もまだ残っている気がしてならない。手が、唇が、その指先が、舌が、土方の体中を。
(考えるな!)
覆い被さってきた男の影。強く腕をつかんだ低い体温。首筋をかすめる熱い吐息。絡んだ足と足。
はだけられたシャツからは、意外にも無駄なくついた筋肉を持った、しなやかな肉体が覗いていた。
成熟した大人の男の躯。
欲情を灯した、雄の 顔。
「土方君」
呼ばれて、さっと青くなるのが分かった。日中の、しかも生徒が大勢いる教室で。
何を、考えているんだ自分は。
「…土方君?どうした、具合でも悪いのかい」
「あ、…ああ、伊東」
いやなんでもない、と首を振る。そうかいならいいんだがと心配顔で覗き込んだのは、別のクラスの伊東だ。
「近藤さんを知らないかい?剣道部の書類を持ってきたんだが」
「あー、近藤さんなら総悟たちと外でメシ食ってる。今日は天気がいいからな」
「そうか、行き違ったかな…。君は今日一緒じゃないのかい」
「あ、ああ、昼休み中に片付けちまいてぇことがあって」
ここで食う、と返せばふむと思案顔を見せる。そうだ、今は昼休みだというのに弁当すら出していなかった。どれだけの間自分は惚けていたのだろう。
「…なら、僕がこっちきてご一緒してもいいかい?もちろん君の邪魔はしない」
弁当箱を取り出したところでそう持ちかけられて、ああ、別にかまわないぜと返す。去年まで同じクラスで同じ剣道部の伊東とは、意外と気が合い今もよくツルんでいる。
じゃあ弁当をとってくるよ、と言って一旦去っていった伊東を見送り、土方はふうとため息を吐いた。
プリントどうこうはただの言い訳だ。別に取り立てて急いでやるものでもないから、適当に切り上げて後は伊東と過ごせばいい。
むしろ一人でいると先程のようになってしまうから、食事を共にする相手がいるのは正直有り難かった。
あと三時間たらずで学校が終わる。金曜日の今日は部活もないから、とっとと帰ってしまおう。
担任の教科は、今日入っていない。
――こんなところまで、仕組まれていたんじゃないかと疑い出せばキリがない。ちなみに昨日の部活は自主練で、結局土方は出なかったのだけれど。
待たせたねと声がして顔を上げれば、前の席に伊東が座るところだった。
一人になれば、否応にも思考はすべてあの男。これすら罠だとして、土方に抗うすべはないのだと、それだけはすんなりと理解できた。
できれば耳を塞ぎたい。
「あー、じゃあ今日はこれで終了ー。オメーら、とっとと帰れよー」
なんとも気のない声がざわつく教室に良く通る。HRの最中、土方は一切顔を上げなかった。
机に突っ伏し、ただ時間が過ぎ去るのを待つ。土方の席が後ろの、しかも端でよかった。これで教卓の真ん前だったら耐えられない。
ガタガタと周りで椅子を引く音がする。そろそろかと身を起こすと横から影がかかった。
見上げれば銀髪。右手を窓につけ、被さるように白衣が周りの景色を遮断した。
腕に、低い体温が。
「土方君、今日も準備室ね。HR寝てちゃ駄目でしょ」
前言撤回。真ん中あたりの席がよかった。唯一の出口をふさがれて、もう逃げ場がない。
準備室の扉が閉まると同時にガチャリと鍵がかかる音がする。
連行されるように移動中とうとう一度も放されなかった腕をひかれ、奥に押しやられる。トンと背中に当たった壁の感触を意識が理解する前に、土方は唇をふさがれた。
逃げる舌を絡め取られ、強く吸われる。それでも駄々っ子のようにイヤイヤと首を振れば、動かないようにと顎を固定され、舌先を甘くかまれた。広がる快感に形ばかりの抵抗はすぐ力を失い、あとはもう、されるがまま。
くちゅくちゅと卑猥な音が合わさった唇から絶えず漏れ出る。聴覚までも刺激されて、土方はその淫らさに目眩がした。
耐えきれず自分を押さえつける腕にすがりつくと、土方の膝の間に銀時の脚が割り込み腰をぐっと引かれる。より密着した熱に知らず体温が上がる。
「んん…っ」
ピチャリと深く交わる熱い舌に煽られる。鼻から抜けるような声で啼けば、よくできましたとばかりに下唇をはまれた。
もはやどちらのものか分からないほど混ざり合い溢れる液をゴクリと喉を鳴らして飲む。それでも嚥下しきれなかった唾液が顎をつかんだ銀時の手につたい落ちて、白衣の袖に小さなシミを作った。
「ん…あっう…っ」
歯列の裏側をなぞるように舐めあげられて、ぞくぞくと背筋がわななく。口内をあますところなく蹂躙され、その息苦しさに、甘さに意識がかすんだ。
最後にいっそう強く吸われ、ようやく唇が離される。見せつけるようにゆっくりと抜かれていく銀時の舌からつ、と唾液の糸が伸びて、テラテラと光った。あまりに淫猥な情景に、土方は逸らすことも出来ず熱い吐息を吐くばかり。
くすと銀時がいやらしく笑う。ささやくようなその空気の振動にさえ、土方の脳は甘く痺れた。
未だ抱き合ったままの身体が熱い。鼻先をかすめるほどの距離で見つめ合っていると、ふ、と薄いフレームの向こう側の目が細められた。
きっといまの自分は、とてつもなく欲情に濡れた目をしているんだろう、と土方は思う。
誘われるように銀時が顔を寄せ、同時にするりと顎におかれた手が動いて頬を優しく撫でる。その手つきに促されるように顔の角度をほんのすこし上げれば、しっとりと濡れた唇が再び降りてきた。
今度は唇を覆うようにゆるく何度も啄まれる。それすら土方の官能を煽り、つかんだままの腕が震える。ふと唇から熱が消え去ったと思えば、そのまま頬の上を滑るようにして銀時は土方の耳元に口づけた。
ちゅ、とダイレクトに響く振動と感触に思わずああ、と声を上げてしまう。
「ねえ、今日は一日、俺のこと考えてくれた?」
耳に直接吹き込むように言われ、咄嗟に何を、と返し、直後その質問の意味を悟る。そんなの、と口を開いたところで銀時の舌がぬるりと耳朶を這い回り、次いで甘噛みされる。絶妙な切り換えに土方は喘ぐことしか出来ない。
「あっ…ああ…っ」
耳、弱いよね、とささやいて銀時はクスクス笑う。そうして一層激しく責め立てられ、土方は答えるどころか問われたことすら思考の彼方だ。
「痕、いっぱいついてたでしょ」
「身体つらい?ゴメンね、でもちゃんと薬も塗ったし」
「土方、かわいー声で啼くんだよね。先生興奮しちゃった」
「授業中思い出したりした?体中舐めてあげたもんね、キレイな肌だったなあ」
「後ろは初めて?気持ちよかったでしょ。あんあん言ってたもんね」
「すっごい熱かったよ、土方。中も、ね」
こたえてくれないの、と意地悪く問われて涙目でにらみつける。答えさせないくせに、何言ってやがる。そう思ったのが分かったのか、銀時がまたクスクス笑った。
すでに身体からは力が抜け、銀時に支えてもらわなければ立ってもいられない。口を開けても掠れた吐息しか出てこず、土方はそっと目を閉じた。
卑怯だ、と声に出さずに言う。
考えたも何も、それしかできないように仕向けたのはアンタだろう。
考えたさ。どうしてとか何でとかそんな抜本的なことよりも。
アンタの触れた熱。息づくほど焦れったい感触。抱きしめられた腕の力強さ。
表情一つ逃すまいと見つめる目。体中を愛撫した熱い吐息。重なった早い鼓動。
穿たれた苦痛と、快楽。
その指先が落ちれば身体が喜ばない場所はなかった。
知りたくもなかった密の味は、悶えるほど甘くて。
勝手に総てを暴いたくせに、分からないなんて言わせない。
「…他に言うこと、ねーのかよ、先生」
だから。
認めるのは癪だけど。しかも仕掛けられてあっさり嵌った自分が腹立たしくもあるけれど。
聞いてやらない、ことも、ない。
わたあめのような甘さで微笑い、銀時が言う。
「好きだよ」
ああ、まんまと落ちてしまった。
するりと銀時の首に己の腕を巻き付ける。そっと引き寄せれば、優しい笑顔ととろけるような口づけが土方の元に降り注いだ。
END.
*****R15だと言い張ってみる。銀八っちゃんが鬼畜になった。土方君はエロ教師にほだされればいいと思う。
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